touta1107の日記

大学院修士課程を修了し、この度社会人となりました。

【雑記】それから、とこれから

    就職で上京してちょうど一年がたつ。

 就職する前は、大学院で理論を中心とした社会学を専攻していた。その時はこのブログで書いていることのような、どうでもいい屁理屈だけこねていればよかった。でも当時、自分は研究者になるんだ、と思っていたけれど、どうしてもそこまで強い動因が得られなくて、何となくふらふらと就職活動を始めたものの、なかなか宛てが見つからず、修了間際に東京の小さい都市計画のコンサル会社に内定をもらった。給料は大学院了にしては少なく、何とか生きていける程度のものだったから、両親は心配したけど、特に地元のつながりが強いというわけでもないし、地元で一生を過ごすことに強い恐怖があったから必然的に上京することになった。

 

 上京してみても、どこかでアカデミックのことは忘れられなかったけれど、自分が東京で働いている、という状況が地元ではできないことをやっているという自意識を生み出したし、カッコ付きの仕事は思った以上に楽しかった。だけれどもそれと同じだけ、その内実はどこか空虚だった。
上司に怒られては凹み、褒められては喜び、飲みに連れて行ってもらっては帰り道に充実感を得て、でも寝るときにはもう不安になっていたりする。仕事をすればするほど逆説的に時間を忘れられるし、でも仕事がないときにはもっと不安になっていくし、この上下に乱高下するサイクルが安定しない躁鬱状態に感じることもあった。


 そもそも東京は何かどうしようもない街だと思う。自分が何かしたいという欲求さえ、東京の人の多さとその不定のまなざしを向けられると、それ自体確信が得られないから執着することも、だんだんどうでもよくなっていく。「本物」とか「本当」という接頭語がつく全ての言葉が空を切って瓦解していくようだと思う。本当にやりたいこと、本当の自分、本物の恋人。でも同時にそんな現状で一番効力を発揮するのが薄っぺらい、今にもどうにかなってしまいそうなプライドだともわかった。このプライドという言葉は便利な言葉だと思う。これさえあれば鬱屈した社会の雰囲気に馴染めることさえある。だから反対の言い方をすると、これ以外の方法で生きていくのがつらいことも多い。でも何か変なプライドの持ちようはいけない。「みんな」と同じようなプライドで、飲み屋でいい顔をしながら語ることのできるプライド、そういう類のプライドでなければ意味がない。同調圧力のような気がするときもあるけど、自由な街で自由な振る舞いができるから、だからこうして不自由でないと自分に言い聞かせることもできる。東京ではお金がなければ何もできない、というけれど、むしろ日々の社交的な場面ではプライドの方がよほど役に立つんじゃないかな、とまで思う。


 こういうことがわかっているのに、それでも今の生活を強制的に変えることすらできない。こういう空虚感を伴うこの何かがおかしいと気づくことができても、みんなの流れに沿って生きていく方が楽なんだろう。でも、だからこそたぶんサラリーマンの魅力的なところはそれ以外にはないんだと思う。自分がやるべきことが、どんなにつまらなくて・何の意味がないものでも、それが自分のやるべきことだと言うことができる条件が整っているし、だれに対しても自分の役割を何のコンフリクトもなく主張することができる。
 そういえば「耳をすませば」で、お父さんがこういうことを言っていた。

 

「でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。何か起きてもだれのせいにもできないからね。」(家族会議のシーンより)

 

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 東京に来て、いろんなことが分かった気がしたけど、たぶん何をしようともどうしてもヤリキレナイ何かが空虚感な感覚として、そしてまた残滓として常に付きまとってくることも分かった。東京では誰の・どんな人生でさえ<消化試合>に見えてしまうけれど、それでも何となく・理由なんかなく生きていく方が楽だと思う。みんなヤリキレナイ何かをその何かのまま身にまとって何となく・理由なんかなく生きていくんだろう。だからわざわざ「死ぬ」という選択肢を自ら選ぶにしても、それには別に多大な思考のコストがかかってしまうから、そんなこと考えるよりも、みんな毎日おなじことを繰り返しているほうが格段に楽なんだろうと思う。

 

「全ての終わりが告げられても…【ああ そうか】と、と思うだけだ」(寄生獣:田宮良子 死に際して)

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 まあでも、だからこそ何かをやらないでいる動機も、同じようにそういう下らないものでしかないはずだと思う。田宮良子が言う「ああ そうか」という典型的なニヒリズムが、一方で強いロマンチズムに転化するように、しかしだからこそ僕は下らないプライドを引っ提げて、どうせ何をやっても同じだと気づいてしまったから、アカデミズムにもう一度だけ参加してみようと、性懲りもなく淡い期待をいだきながら、そう思った。